大判例

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東京地方裁判所 昭和57年(合わ)103号 判決

事件

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

未決勾留日数中八〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、兵庫県神戸市内で出生し、五歳ころ家族に連れられて上京し、足立区立第九中学校を卒業後、二か所の靴製造会社に各一年程勤め、その後も多数の勤務先に短期間勤めたがいずれも人間関係がうまくいかずに辞めてしまい、家庭内にこもりがちになつた。二〇歳ころガス自殺を計つたことがあり、二五歳ころ失神発作を起こしててんかんであることが判明し、病院に入通院し、抗てんかん薬を服用していた。

昭和五四年三月ころ、足立区北千住にあるスナックに勤めるようになり、そこに客として来た会社員利根川道春と恋愛し、同年八月に同人と婚姻した。当初、足立区北加平町の同人宅に二人だけで居住し、概ね平穏に暮らし、昭和五六年五月一一日に長男の勝広を出産した。そのころから、姑の利根川小春も同居するようになつたが、被告人は、姑や道春と時々意見が合わずに喧嘩して家を飛び出したり、勝広が被告人に中々なつかなかつたが、それは姑が同児を独占するためだと考え、勝広を足立区梅田の実家に連れて戻つたりするようになり、姑との折り合いが悪い、勝広が自分になつかない、夫婦仲がうまくいかなくなつたと感じて精神的に不安定となり、同年一二月中旬から同月末ごろまで日本大学板橋病院に入院し、以後東京足立病院に通院して抗てんかん剤と抗不安剤をもらい服用した。退院後、勝広の世話をしてもらうために実母の髙橋マキに利根川宅に同居してもらうようになつたが、被告人は相変わらず夫や姑に不満を感じていた。

昭和五七年二月九日夜、被告人は、同宅二階の仏壇の前で拝むうち、炎の消えたローソクを取り替えようとした道春の髪の毛をつかんだりしてたわむれたところ、道春が怒つたのに立腹し、家を飛び出して足立区青井に住む友人を訪ねた。友人からなだめられ、同人方に一泊して翌朝帰宅したものの、被告人の帰宅を待つていてくれると期待していた道春が既に出社していたこともあつて、マキと相談の上、このままでは夫婦喧嘩ばかりするし勝広も被告人になつかないから足立区梅田の実家にマキや勝広と行くこととした。実家に戻つた被告人は、これまで実家に戻つたときと同様道春が電話してきたり迎えに来てくれることを期待したが、同人から何の連絡もなかつたこと、マキから「昨夜道春と姑がこたつに入りながらその晩の喧嘩について話していた。」と聞いたことから、道春が被告人に見切りをつけたのではないかと不安になるとともにいら立ち、よく眠れないまま、翌一一日の朝を迎えた。道春からの電話がないまま、午前八時ころ、マキが、勝広を寝かしつけてから、道春宅に勝広の下着と歩行器を取りに出かけた。

(罪となるべき事実)

被告人は、マキが出かけてから、東京都足立区梅田八丁目一三番所在の都営住宅九号棟九四〇号室髙橋マキ方六畳間のこたつに入り、夫や子供のことなどを考えていた。道春については、被告人が病気のためいらいらしやすいのに我慢してくれずにすぐ怒鳴り夫婦喧嘩をするし、今日は休日なのに電話してこないが被告人を見捨ててしまつたのではないかと不安といら立ちを感じ、勝広については、どうして少しも被告人になつかないのか、勝広がもつとなつくように姑が仕向けてくれないものかと腹立たしくあれこれ思つた。そのとき、傍らの布団で寝ていた勝広が泣き出した。被告人は、騒がしいと思い、勝広の頬を二、三回平手で叩いた。勝広は大きな声で泣いた。被告人は、益々いら立ち腹立たしく思い次第に逆上して、勝広をうつ伏せにしてその尻を平手で数回叩き、泣き止まない勝広の背中部分のセーターを右手でつかみ、立つている被告人の胸辺りまで持ち上げ手を離して布団の上に五、六回落し、火の付いたように泣く勝広の背中部分のセーターを右手でつかみ、水平に持ち上げ、同所ベランダに出て、被告人の胸位の高さからコンクリート製のベランダの床に一回落した。一瞬、勝広を病院に連れて行こうかと思つた。しかし、被告人は、泣き続ける勝広を見て更に逆上し、被告人夫婦や家庭がどうなつてもかまわないという気持になり、同都営住宅の四階のベランダから約一〇メートル下にある地面まで勝広を落下させれば同児が死亡するであろうことを十分認識しながら、あえて、同日午前八時一〇分ころ、同児(当時九ケ月)の背中部分のセーターを右手でつかんで被告人の肩辺りまで持ち上げ、同所髙橋マキ方ベランダから約9.9メートル下の地上に投げ落し、よつて即時同地上において同人を心臓破裂により死亡させてこれを殺害したものであるが、直ちに右犯行につき自首したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、自首がなされたので同法四二条一項、六八条三号を適用して法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中八〇日を右の刑に算入することとし、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人がてんかん性精神病であり本件犯行当時心神喪失の状態にあつた旨主張するのでこれについて判断する。

前掲各証拠、証人逸見武光の当公判廷における供述、同人作成の鑑定書、司法警察員作成の「殺人被疑事件」捜査報告書によれば、

(1)  被告人は一〇代のころから突然いらいらすることがあり、これはてんかん性異常波によるものと考えられること

(2)  一九歳ころから二三歳ころにも一過性の精神病状態に入ることがあり、二五歳ころてんかん性の失神発作が初めて起こり、その後現在まで一五、六回失神発作を経験していること

(3)  てんかん性精神病は産褥より悪化することがあり、昭和五六年一二月には自殺企図のため警察に保護される事態となり、同月一四日には日本大学板橋病院に入院し、その際てんかん性異常脳波が認められ、心因加入によるてんかん性精神病と診断されたが、同月二六日経済的理由から未治のまま退院したこと

(4)  昭和五七年二月下旬ころから同年三月ころの精神鑑定時も、脳波が正常と異常の境界であつたこと

が認められるが、他面、

(1)  被告人は、最初の失神発作以後てんかんとの診断を受けて病院に入通院し、五年程前から尾竹橋病院に通院して抗てんかん剤をもらつてこれを服用してきたもので、婚姻後では出産時に一回、昭和五七年に入つて二回てんかん性発作かと思われる症状を示したことがあるにとどまること

(2)  昭和五六年一二月日本大学板橋病院に入院して間もなく脳波も精神状態も安定し、同病院退院後東京足立病院に通院して抗てんかん剤と抗不安剤をもらい本件犯行当日まで服用していたこと

(3)  てんかんにより脳機能が低下し、感情が不安定になり人格崩壊に至ることがありうるところ、被告人にも脳機能の低下や感情の起伏が激しいことが認められるが、その脳機能の低下は被告人の一五歳以前のそれと比較して低下しているにすぎない程度であり、これまでの被告人のてんかん発作回数程度ではその人格面への影響はさほど認められないこと

(4)  てんかん発作には失神に至る発作からそれに至らない精神発作があるが、それはいずれにしても前後の脈絡のない挙動であり、当人の意識野が狭くなつており、発作後当人に記憶障害が残るところ、道春は昭和五七年二月九日家を飛び出した被告人の様子についてさほど異常を認めていないし、マキも本件当日朝の被告人の様子について特段異常を認めなかつたこと、本件は道春や姑との葛藤から情緒不安定になつた被告人が、前々日夜の夫婦喧嘩やその後実家に戻つた被告人に電話をしてこない道春の対応などについてあれこれ思い乱れいら立つうち、勝広の泣き声を聞き次第に逆上して犯行に及んだもので、その直後被告人は我に返つて一一〇通報するなどそれなりにつながりのある一連の行動をしていること、被告人は本件犯行前後の状況について極めて詳しく記憶していること

(5)  前記鑑定時の脳波所見は抗てんかん剤を長期間服用した者にしばしば見られるものであり、鑑定時薬を使用して異常脳波を出させようとしたが出なかつたこと、鑑定した逸見武光は鑑定時被告人に精神病を認めなかつたこと

(6)  被告人は、てんかん性脳波異常を基盤として、元来、対人関係を円滑に維持できない情緒的に不安定な者であり、本件犯行は右不安定性に起因する情動行為と考えられること

が認められる。

以上によれば、被告人はかつててんかんにかかり、その脳波異常のためもあつて感情の起伏が激しいが、犯行時てんかんを含む精神病状態にはなく、本件犯行は失神発作あるいは精神発作に起因するものでなく、情緒不安定に起因する情動行為と考えられ、本件犯行時被告人は事物の是非善悪を弁識しこれに従つて行動する能力を喪失していなかつたのはもちろん、その能力が著しく減弱していなかつたと認められるから、弁護人の主張は理由がない。

(量刑の理由)

本件は、自己中心的で感情の起伏の激しい被告人が、姑や夫との葛藤について思い悩むうち、生後九か月になる我が子が泣き出して泣きやまないのに次第に逆上し、ついには四階のベランダから同児を地面に投げ落して死亡させるという、なんとも嘆かわしい事案である。

本件犯行の原因は、ひとえに被告人の性格にある。即ち、被告人が夫や姑に対して抱いた不満は多分に被告人の自己中心的な思考によるものであるし、ましてやその不満から泣き出した我が子を見て逆上するというのは、感情の起伏が激しくそれを統御できない異常ともいうべき被告人の性格によるものである。被告人はこの点を深く反省し規正していく必要がある。

本件犯行の態様は極めて悪質である。判示のとおり、被告人はまだ一人歩きも出来ず、笑い泣く以外その意思を十分に表現出来ないわずか生後九か月の子供を、泣くからといって抱きもせずに直ちにその頬を叩き、尻を打ち、持ち上げて何度も布団上に落し、さらにコンクリート製のベランダ床面に落下させ、ついには四階から地上に投げ落したもので許し難い暴挙である。この世に生を受けながらわずか九ケ月で実の母親にその命を奪われた勝広は哀れというほかない。たつた一人の息子を失つた道春、かわいがつていた孫を失つた小春やマキの悲しみは測り知れない。

しかし飜つて考えてみると、被告人のこの性格は生育過程で形成された面があるとともに、てんかんにより性格の変化をもたらした面もうかがえ、単に人格異常者であるとばかり非難することは酷である。そして、被告人は三二歳にして初めて産んだ唯一の我が子を自らの犯行により失つたもので、冷静になつた現在では悔やんでも悔やみきれないし、その心の傷は一生癒されないであろうと思われる。

そのほか、被告人は本件犯行直後我に返り自首していること、これまで前科前歴がなく一応家庭の主婦として平穏な社会生活を送つてきたこと、本件により離婚に至るであろうことなどの事情がある。

以上述べた一切の事情を考慮して主文の刑を定めた。

よつて、主文のとおり判決する。

(近藤和義 小川正明 青柳勤)

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